台湾には、漢民族以外にも数多くの先住民族が暮らしています。その中でも、台湾中央山脈南部の高地に暮らしてきたブヌン族は、独特の文化と伝統を今日まで守り続けている民族として知られています。今回は、台東県にある「布農部落休閒農場」を訪れ、彼らの伝統文化に触れる機会を得ましたので、その体験をご紹介したいと思います。
ブヌン族(布農族)について
ブヌン族(布農族)は、かつて海抜2000メートルを超える台湾中央山脈南部の高地に暮らしていた山岳民族です。彼らの生活は自然と密接に結びついており、狩猟と農耕を主な生業としてきました。特に狩猟文化は彼らのアイデンティティの重要な部分を占めており、それに関連する様々な儀式や歌、踊りが今日まで継承されています。
布農部落休閒農場のアクセスと公演情報
そんなブヌン族の生活を体験できるレジャー施設、布農部落休閒農場(布農部落観光農場とも)は台東駅から車で30分ほどの場所に位置しています。公共交通機関でのアクセスも可能ですが、バスの本数が限られているため、私たちは今回レンタカーを利用しました。台湾東部は公共交通機関の便が必ずしも良くないため、自由に観光を楽しむにはレンタカーの利用をお勧めします。
農場では一日2回(午前10:30と午後14:00)、ブヌン族の伝統文化を紹介するパフォーマンスが行われています。ただし、ネット予約人数が30人に満たない場合は中止となるため、事前に予約状況をウェブサイトで確認することをお勧めします。
私たちが訪れたのは台風通過後2日目のことでした。台風の影響で観光を控えていた地元の人々が多かったためか、直前まで予約者数は6人と少なく、開催が危ぶまれる状況でした。しかし、直前夕方になって団体予約が入ったのか予約が急増し、最終的には30人以上の観客が集まりました。
農場のたたずまい
パフォーマンスの時間までしばし、農場の中を散策してみました。緑深い山々を背景に、伝統的な建築様式を残しながらも現代的な設備を備えた建物が点在しています。村の中央には広場があり、その周りには工芸品の工房や、伝統的な織物を展示するスペース、そしてカフェやレストラン、宿泊ロッジなども。
特に印象的だったのは、至る所に見られる装飾の数々。ブヌン族特有の幾何学模様や、狩猟文化を象徴する装飾品が、現代的な建物との間で不思議な調和を生み出していました。
実は敷地の中には、工芸体験や伝統料理の試食、農業体験など、様々な文化体験プログラムが用意されています。これらの体験については、また改めて別の記事にてレポートさせていただければと思います。
パフォーマンスの開演
定刻の10:30が近づくと、敷地中央のステージにゆったりと座っていた観客たちの間に、小さな期待の空気が漂い始めます。そして、伝統的な衣装に身を包んだブヌン族の演者が現れ、中国語で穏やかに語りかけてきました。
これから始まるのは、ブヌン族の一年の暮らしを再現した物語だといいます。狩猟に向かう男たちの儀式や祈り、残された女性たちの生活、収穫を分かち合う喜び、そして子供たちの成長を祝う儀式まで。その説明を聞いているだけで、これから始まる演目への期待が高まっていきます。
やがて、会場の照明が少し落とされ、物語の幕が開きました。
伝統的な生活描写と観客参加型の演出
物語は狩りに向かう前の儀式、Pislaia(ピスライア)から始まります。この厳かな祭典の中で披露された歌が、この日最も印象的な場面の一つとなりました。一般的な合唱とは全く異なる響きで、各々が鋭く澄んだ声で複雑な和音を紡ぎ出していきます。5度や3度といった単純なハーモニーにとどまらず、2度や6度、時には増4度といった複雑な音程を重ね、それが徐々に転調しながら発展していく様は、まるで山々の声を聴いているかのような深い没入感を覚えました。
続いて、狩猟に向かう場面が展開されます。経験豊富な狩人が若者たちに、狩猟には謙虚な心と自然への敬意が何より大切だと諭す場面は、現代を生きる私たちにも深い示唆を与えてくれました。
ブヌン族の狩猟には厳格な掟があり、年中いつでも狩りができるわけではなく、また幼い動物や妊娠中・授乳中の動物は決して狩らないという決まりがあるのだそう。これらの規律からは、自然との共生を重視する彼らの価値観が垣間見えます。
一方、部落に残された女性たちの生活も生き生きと描かれます。農作業に従事する傍ら、布を織り、家事をこなし、そして伝統的な小米酒を醸造する様子が表現されます。特に印象的だったのは、作業の合間に歌われる「ma-is-put(マイスプット)」という醸造の歌。労働の中にも喜びを見出す彼女たちの姿が印象的でした。
演目の途中では、思いがけない展開がありました。「収穫の喜びを皆様と分かち合いたい」という掛け声とともに、観客の中からランダムに選ばれた方々に小米酒(東台湾伝統名物の、粟のお酒)が振る舞われたのです。残念ながら私たちには巡ってこず、仮に声がかかったとしてもドライバーだったため辞退せざるを得ませんでしたが、選ばれた方々の嬉しそうな表情を見ているだけでも楽しい気分になりました(代わりにその晩小米酒の飲み比べをしてきましたので、是非下記体験レポートも併せてお読みください)。
狩りから戻った男性たちは、獲物を部落全体で分け合います。これは単なる食料の分配以上の意味を持つ重要な儀式のようです。獲物を分かち合いながら歌われる「Pasibutbut(パシブトブト)」という歌は、まさに天に届くような荘厳な響きを持っていました。こちらは粟の豊作歌、としても知られ、その特徴的な8声合唱ゆえに世界的にも有名なのだそう。
この共同体の絆を象徴するような場面では、舞台の上の大人たちだけでなく、4歳くらいの子供から40代くらいまでの幅広い年齢層が参加していました。小さな女の子たちが演目の最中に自由に動き回る様子も、実際の村での暮らしの自然な一コマを切り取ったかのようでした。
思いがけない体験 ―― ブヌン族の命名儀式
そして演目の終盤で、さらに驚きの展開が待っていました。観客の中から数名が選ばれ、ブヌン族の伝統的な命名儀式を体験できるというのです。まるでディズニーランドのタートルトークのような雰囲気の中、なんと私が指名されてしまいました。
少し恥ずかしさを感じながらもステージの前へ進み出ると、伝統的な儀式とともに命名が行われます。「あなたの名前は『タハイ』!」という宣言とともに、「TAHAI」と書かれたネックレスを首にかけていただきました。その瞬間、私は思いがけずブヌン名を授かったのでした。急な出来事に困惑しましたが、まるで私自身がブヌン族の一員として受け入れられたような、そんな温かい気持ちになりました。
この儀式は本来、赤子の出産・命名の儀式の再現だそう。通常は小学生くらいの年齢の子供たちを対象に、「勇気のある子は手を挙げてごらん」といった形で参加を募るのだとか。この日は該当する年齢層の子供が少なかったため、おそらく比較的若い観客が指名される形になった模様。少し照れくさい気持ちもありましたが、思いがけない形でブヌン族の伝統文化を直接体験できた、貴重な機会となりました。
驚きのフィナーレ ―― 伝統と現代の見事な調和
そして最後に披露された「Masinasia(マシナシア)」で、私は再び深い感動を覚えることになりました。
演目の締めくくりとして演奏されるというので、てっきり伝統的な打楽器を使った土着的な楽曲なのだろうと思い込んでいました。ところが、突如として現れた演者たちの手には、ベースギターやエレキギターが。先ほどまでの伝統的な雰囲気から一転したそのギャップに、思わず目を見張ってしまいました。
そして演奏が始まると、さらなる驚きが。ブヌン族の言葉で紡がれる歌詞は伝統的でありながら、楽曲のアレンジは想像以上に洗練された都会的なポップミュージック。しかも演奏の腕前が素晴らしく、プロフェッショナルなバンドさながらの完成度です。
この体験によって、私自身の中にあった先入観を恥じることになりました。目の前で繰り広げられていたのは、伝統文化を守りながらも現代的な表現を果敢に取り入れる、彼らの生き方そのものだったのです。
実はこの曲は、ブヌン族の若手ソングライターKiwa Takihusungan氏によるオリジナル楽曲なのだそう。母語で歌詞を紡ぎながら、現代的なアレンジを施すその姿勢に、深い洞察を感じました。ブヌン語のコールアンドレスポンスも交えながら、この曲を通じて舞台上のブヌン族と観客の心は一体になりました。
終わりに
マシナシアの演奏は、この日の体験を象徴する印象的なフィナーレとなりました。彼らは決して過去に固執するのではなく、かといって現代化の波に飲み込まれるでわけでもなく、両者のバランスを見事に保っているのです。
それはおそらく、現代の台湾社会で生きる彼らの姿そのものなのでしょう。自身のルーツを大切にしながら、しなやかに現代文化を受け入れ、昇華させていく。その調和の取れた生き方こそが、ブヌン族が今なお豊かな文化を育み続けている秘訣なのかもしれません。
伝統と現代の見事な融合を目の当たりにした布農部落休閒農場での体験は、単なる観光以上の深い発見を与えてくれました。今回は演劇を中心にご紹介しましたが、村での工芸体験や伝統料理、農業体験など、まだまだ魅力的なプログラムが数多く残されています。機会を改めて、そうした体験についても詳しくレポートさせていただければと思います。皆さまもぜひ、予想を裏切り続ける素晴らしい文化体験の旅に出かけてみてはいかがでしょうか。
Masinasia - Kiwa Takihusungan
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