前回のレポートでは、ヘグラ遺跡ツアーの出発までをお伝えしました。今回は、いよいよ遺跡群に足を踏み入れてからの体験をレポートします。夕暮れ時の柔らかな光に包まれた遺跡群は、まさに息を飲むような美しさでした。
バスでの移動
South Gateを出発し、バスの窓からは砂漠の広大な風景が広がります。ガイドのアラビア語と英語が交互に流れる車内で、かつてこの地域がナバテア王国の交易ルートの重要な拠点だったことを学びながら、バスは最初の目的地に向かいました。
最初の遺跡、Jabal Ithlib
バスが停車すると、参加者たちは我先にと遺跡へ向かっていきます。東洋人の参加者は私一人だけのようでした。全員が遺跡の前に集合すると、ガイドの説明が始まりました。正直なところ、私は事前の下調べが不十分で、ガイドの説明を必死にメモしながら聞いていました。(このブログ記事も、そのときのメモと記憶を頼りに書いています)
Jabal Ithlib遺跡は、ヘグラの中心部に位置する重要な祭祀の場でした。2つの巨大な岩が寄り添うような形状をしており、その間の空間にかつての集会所が設けられています。巨大な岩の隙間を見上げると、その迫力にスリル感すら覚えます。
7月の強い日差しの中でしたが、遺跡に近づくにつれて不思議と涼しさを感じました。これは建造物の配置が太陽の強い日差しを巧みに避ける設計になっているためだと、ガイドが説明してくれました。
遺跡見学中、興味深いインタラクションがありました。岩壁に刻まれた古い文字について、ガイドが参加者に質問を投げかけました。
「この岩に書かれている文字は何だと思いますか?」
確かに文字みたいですが、アラビア語には見えません。誰かがヘブライ語ではないか、と答えると、ガイドは微笑んで首を振りました。
「実は、これはアラム語の一種なんです。この地域にアラビア語が普及する前に使用されていた言語です」
そして別の場所を指さして、「では、こちらの文字は?」と再び質問。
ラクダの絵とともに書かれたアラビア語のように見える文字に対して、ガイドは少し苦笑いしながら、「これはおそらく最近書かれた落書きでしょう」と明かしました。2000年の歴史を持つ遺跡にも、現代の"痕跡"が残されているという皮肉な事実に、参加者からは笑いが起こりました。
遺跡の中でも特に印象的だったのが「ディワン」と呼ばれる空間です。岩山に直接刻み込まれた大きな部屋で、その形状は古代のダイニングルームあるいはトリクリニウム(ローマ時代の食堂)を思わせます。ガイドの説明によると、この場所は王族の宴会や政治的な会合など、重要な集会に使用されていたとのこと。正面が開放的な設計になっているのは、おそらく一般の人々も外から観覧できるようにという配慮だったのではないかと言われています。
ディワンの左側には「スィーク運河」と呼ばれる通路があり、そこを通って山の中心部に進むことができます。通路の壁面には、古代の宗教的実践に関連すると思われる数々の彫刻や碑文が残されています。
特に興味深かったのは、山の中央部を流れる水路システム。この水路は自然の貯水池へと続き、最終的には人工的な貯水槽へと水を導いてたとのこと。灼熱の砂漠地帯で、いかに水を確保し利用するかは生命線だったはず。古代の人々の知恵と技術の高さを物語る証拠の一つだと感じました。
Jabal Al-Banat - 「娘たちの山」の物語
バスが次の場所に到着すると、先ほどと同様に参加者たちは我先にと遺跡に向かっていきます。Jabal Al-Banatは、「娘たちの山」という意味を持つこの遺跡群で、ヘグラ遺跡群の中でも最大規模を誇ります。29基もの墓が女性によって建立された、あるいは女性のために作られたという、歴史的にも貴重な場所です。
多くの墓が並ぶ中で、実際に内部に入ることができるのは一部の墓だけです。しかし、興奮気味の参加者の中には立ち入り禁止エリアに足を踏み入れようとする人も。ガイドは度々注意を呼びかけていました。遺跡の保護と安全管理の難しさを垣間見る場面です。
私たちが入ることを許可された墓の内部は、外からは想像つかないような迫力満点の空間でした。天井までの高さは優に5メートルはあり、まるで吹き抜けのある2層構造の家のよう。
ガイドの説明によると、窓の配置には当時の工学的な知恵が詰まっているそう。灼熱のヘグラの地で、いかに効率的に涼しい風を内部に届けるか、綿密に計算されて作られたのだとか。確かに外気温と比べると室内は涼しいのですが、20人以上の参加者が一つの墓の中に集まってガイドの話を聞いているうちに、徐々に蒸し暑さを感じ始めました。
Jabal Al-Banatの考古学的価値は非常に高く、この場所からは人骨と共に織物や革製品なども出土しています。これらの出土品は、古代ナバテア人の生活様式を理解する上で貴重な手がかりとなっているそうです。
またガイドの説明によると、この地域の女性たちの中には相当な財力を持つ者もいたようです。例えば、近くのJabal Ahmar(赤い山)では、ヒナトという女性の墓が発見されました。彼女は自身と80人もの子孫のために墓を建立できるほどの富を持っていたとされています。このことから、当時のナバテア社会では、女性も相応の経済力や社会的地位を持ち得たことが窺えます。
見学を終えてバスに戻る途中、目の前をジープに乗った家族連れが駆け抜けていきました。サポート用のジープとはいえ、砂漠を颯爽と走り抜ける姿を見ていると、私も乗ってみたい気持ちでいっぱいに。しかし、徒歩での移動も悪くありません。きめ細やかな砂を踏みしめながら歩く道中、周囲には映画のような岩山が広がり、目の前には古代へのロマンを感じさせる遺跡群。その光景は、また違った味わいがありました。
いかがでしたでしょうか?
次回は、ヘグラ遺跡のハイライトとも言える「Tomb of Lihyan Son of Kuza」など、残りの遺跡群の訪問についてお伝えする予定です。お楽しみに!
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