定番ツアーはもう飽きた?ローカル旅行情報発信サイト「コスパトラベル」

パッケージツアーやガイドブックに頼った旅行に飽きてしまった大の旅行好きの方々向けに、ローカルでコスパの良い旅行プランをまとめたポータルサイト

カンフー映画の「アチョー」は漢字で「我打」!ほとんどの人が知らない中国語の雑学

カンフー映画を見たことがある人なら、誰もが一度は耳にしたことがある「アチョー!」という掛け声。この独特な掛け声は、香港映画やカンフー映画の代名詞とも言える存在です。しかし、この「アチョー」には、単なる掛け声以上の深い意味が隠されています。実は、これは中国語の「我打(ウォーダー)」という言葉から来ているのです。

カンフー映画といえばアチョー

KUNG-FU MASTERS1970年代、ブルース・リーの活躍により世界的な人気を博したカンフー映画。その中で、激しい格闘シーンと共に響き渡る「アチョー!」という掛け声は、カンフーアクションの象徴的な音として、世界中の観客の記憶に刻まれました。この掛け声は、技を繰り出す際の気合いとして知られ、多くの人々にとって、東洋の神秘的な武術を象徴する音として認識されています。

アチョーはただの掛け声ではない

一見すると単なる気合いの掛け声に聞こえる「アチョー」ですが、これは実は中国語の「我打(ウォーダー)」という言葉が訛って伝わったものだと考えられています。「我」は「私」、「打」は「打つ」という意味で、直訳すると「私が打つ!」という意味になります。つまり、単なる掛け声ではなく、相手に攻撃を仕掛けることを宣言する言葉だったのです。

「我打」の深い意味と起源

「我打」という言葉は、中国の武術において長い歴史を持っています。この言葉は、単に物理的な攻撃を意味するだけでなく、武術家の精神性も表現しています。「我」という一人称を使用することで、技を繰り出す際の強い意志と決意を表明し、「打」という動作を明確に宣言することで、相手への敬意も示しているのです。

この言葉が「アチョー」として世界に広まったのは、主に李小龍(リー・シャオロン/ブルース・リー)の影響によるものです。特に『燃えよドラゴン』シリーズでの印象的な使用により、この掛け声は世界中で認知されるようになりました。

言語と文化の融合

「我打」が「アチョー」として世界に広まった過程は、言語と文化の興味深い融合を示しています。北京語での「我打(ウォーダー)」や広東語での「ンゴーダー」という発音が、日本語や英語話者の耳に「アチョー」として聞こえ、それが定着していったと考えられています。これは、異なる文化間でのコミュニケーションが生み出す独特の現象の一例と言えるでしょう。

この変化は、カンフー映画という媒体を通じて、中国の武術文化が世界に広まっていく過程でも起きました。本来の意味や発音は変化しながらの、その背後にある精神性や文化的な重要性は、完璧ではないにせよしっかりと伝わっていったのです。

文化交流のきっかけとしての「我打」

我打!興味深いことに、この「アチョー」と「我打」の関係は、中国の人々の間ではよく知られている話題です。実際、多くの中国人は外国人の友人と仲良くなった際、この話を面白い文化的な話のタネとして紹介することがあります。「アチョー」を「我打」だと勘違いしているのは、日本だけでなく世界中でほぼ共通の現象であり、それゆえに中国の人々にとっては、異文化コミュニケーションの楽しい話題の一つとなっているのです。

この文化的な「発見」は、しばしば外国人にとって驚きと興味を引き起こし、より深い文化交流のきっかけとなります。中国の友人との会話の中でこの事実を知る人も多く、それを通じて東洋の武術文化への理解を深めるきっかけにもなっています。

似て非なる言葉「アイヤー」について

我打とともにカンフー映画で広く用いられる掛け声として、「アイヤー」というものもあります。こちらは我打とは異なり、その言葉そのものに意味があるものではありません。

「アイヤー(哎呀)」は、中国語で驚き、困惑、苦痛、悲しみなどの感情を表現する感嘆詞で、古代中国語に起源を持っています。「哎」は嘆きや悲しみを表し、「呀」は驚きや突然の反応を示す音声的表現だとのこと。長い歴史の中で、口語で自然に発展し、感情を簡潔に伝える便利な表現として広く使われるようになりました。現代では、様々な状況で使用され、その語調や発音によって微妙な感情のニュアンスを伝えることができる表現となっています。日本語や他のアジア言語にも類似の感嘆詞があり、文化を超えたコミュニケーションの興味深い例と言えるでしょう。

まとめ

カンフー映画でおなじみの「アチョー」は、単なる掛け声ではなく、中国語の「我打」という意味深い言葉に由来していました。この事実は、私たちが普段何気なく接している映画の中に、実は深い文化的な背景が隠されているということを教えてくれます。

また、この「アチョー」の例は、言語や文化が国境を越えて伝わっていく過程で、どのように変化し、新しい意味や形を獲得していくのかを示す興味深い事例でもあります。さらに、この文化的な「誤解」は、逆に中国の人々と外国人との間の楽しい会話のきっかけとなり、新たな文化交流を生み出す機会となっているのです。

カンフー映画の代名詞となったこの掛け声の背後には、このような豊かな歴史と文化的な深み、そして異文化交流の可能性が隠されていたのです。