定番ツアーはもう飽きた?ローカル旅行情報発信サイト「コスパトラベル」

パッケージツアーやガイドブックに頼った旅行に飽きてしまった大の旅行好きの方々向けに、ローカルでコスパの良い旅行プランをまとめたポータルサイト

中東で大人気の日産サニー(NISSAN SUNNY)──日本で消えた名車が、海外では今も"現役"な理由

海外旅行用にレンタカーを予約しようとしたとき、日産サニーをやたら見かける経験はないだろうか。特に中東やアジア諸国では、「Nissan Sunny」の文字が画面に頻繁に登場する。「え、サニーってまだ売ってるんだ」と思わず画面を見直した人も多いはずだ。

レンタカーの予約ページに表示される日産サニー

日本では2004年に姿を消した日産サニー。かつて「国民車」として親しまれ、トヨタ・カローラと熾烈な販売競争を繰り広げた名車だった。しかし、その名前は海を越えて今も生き続けている。現在でも新車として製造・販売され、レンタカーやタクシーとして世界各地で現役活動中なのだ。

日産サニーは海外市場で現役モデルとして販売・活用されている。それも、「最新型」の姿で出会うことが多い。実際に海外でレンタカーを借りて対面したサニーは、日本人が思い浮かべるかつてのサニーとはまったく異なり、近代的なボディラインと先進的な装備を持った"知らない車"だ。これは一体どういうことなのか?

日本でのサニーの黄金時代と終焉

1984 Nissan Sunny Coupé 1.5 GL

日産サニーは1966年、日産が「庶民でも買える信頼性の高い大衆車」を目指して投入した車種だった。「100万円で100PSを」というキャッチコピーとともに登場した初代(B10型)は、トヨタ・カローラと熾烈な販売合戦を繰り広げながら、堅実な性能と低燃費でファミリー層から厚い支持を得た。

1970年代、サニーはまさに黄金時代を迎える。「サニー1200」は家族の足として、若者の憧れの車として、多くの日本人の生活に寄り添っていた。当時の新聞広告には「今度のサニーは、これまでのサニーじゃない」というキャッチコピーが躍り、モデルチェンジの度に話題を呼んだ。

以降、サニーはモデルチェンジを重ね、1980年代以降はFF化(前輪駆動)を進めつつ、安全装備や内装の充実化を図った。特に1970年代から80年代にかけては北米などでも「ダットサン」ブランドで販売され、世界中で人気を博した。

しかし、1990年代に入ると状況が変わり始める。バブル経済の崩壊、ライフスタイルの多様化、そして何より若者の車離れが始まった。同時にミニバンブームが到来し、セダンタイプの乗用車は徐々に影が薄くなっていく。日本では2000年代に入りコンパクトカー市場が大きく変化。ミニバンや軽自動車の台頭、そして若者の車離れによりサニーは存在感を失い、2004年にB15型をもって国内販売を終了した。

なぜ海外では「サニー」が現役なのか?

現行の海外版日産サニー

一方、日本で姿を消した後も、サニーは名前を変えたりOEMを受けたりしながら海外市場に「生き延びて」いた。とりわけ中東、東南アジア、アフリカなどでは、Sunnyの名を冠した車が今なお日産のラインナップに存在する。

なぜ海外でサニーは生き残ったのか?その理由は実利的で明快だ。まず、酷暑や悪路など過酷な環境下でも壊れにくく、メンテナンスも容易な信頼性と整備性の高さがある。特にレンタカーやタクシー用途で高い評価を得ている。中東の砂漠地帯でも、東南アジアの雨季でも、サニーは確実に動き続ける。

次に、日産のグローバル戦略における役割も大きい。日産は新興国市場向けに「経済的で丈夫なセダン」を展開しており、サニーはその中核的なモデルとして位置付けられている。現地の購買力に合わせた価格設定と、必要十分な装備のバランスが絶妙なのだ。

さらに、中国(東風日産)、インド、メキシコなどでの現地生産により、コスト抑制を実現している。為替リスクを避けつつ、地域のニーズにカスタマイズした車作りを進めているのである。

現在の「日産サニー」の正体

では、現在海外で走っている「日産サニー」はどんな車なのか?実はその正体は、日産ヴァーサ(Versa)やアルメーラ(Almera)とプラットフォームを共有するVプラットフォーム車で、地域によって「Sunny」の名前を使っているにすぎない。つまり、日本人から見ると「ヴァーサがサニーになってる!」という構造だ。

ただし、これは決して安易なネーミングの使い回しではない。サニーというブランドが、現地で築き上げた信頼と実績を活かした戦略的判断なのだ。

見た目はヴァーサだが一応サニー。混乱してしまいそうだ。

現地での活用実態

特に中東や北アフリカUAEオマーンカタールサウジアラビアなど)では、日産サニーはレンタカーやライドシェア、タクシーの定番車種となっている。燃費が良く、車内空間も広く、維持コストも安いため、法人利用には理想的なのだ。

例えばドバイの空港でレンタカーを借りる際、「エコノミーカー」を予約すると高確率でサニーが当てられる。白いボディに控えめなデザインは、まさに働く車としての風格を漂わせている。一方、エジプトでは赤いボディがポピュラーなようだ。

現地で働く日本人駐在員の中にも、サニーを愛車として選ぶ人は少なくない。「懐かしい名前だから」という理由もあるが、実用性の高さが決め手になることが多い。部品の入手のしやすさ、修理工場の多さなど、長期滞在には欠かせない要素が揃っているのだ。

旅行者が遭遇する「知らないサニー」

この車が「サニー」として扱われているため、レンタカーを予約した日本人旅行者が車を受け取った際、「これがサニー!?」と驚くのはよくある話である。筆者も最初にシャルム・エル・シェイクでサニーのレンタカーを受け取った時、まさに同じ反応をした。受付スタッフから「日産サニー」と言われても、目の前にある車は見知らぬセダン。ボンネットの「SUNNY」のエンブレムを見て、ようやく事態を理解したのである。

日本人旅行客としては、操作性に馴染みのある日産車は海外運転において心強い味方だ。

実際に運転してみると、これがなかなかよくできている。CVTの滑らかな加速、十分な静粛性、そして何より燃費の良さ。長距離ドライブでも疲れにくく、コンパクトな割に高速道路での安定性も申し分ない。室内は想像以上に広く、後席にも余裕がある。荷室も十分で、家族旅行でも問題なく使える。エアコンの効きも中東の酷暑に対応できるよう、十分にパワフルだ。

中東仕様のサニーには、現地の気候条件に対応した特別な装備がある。砂嵐対策としてのエアフィルター強化、酷暑対応のエアコン、紫外線対策の窓ガラスなど、細かな配慮が施されている。

世界に響く「サニー」の名前

日本では廃れたサニーだが、海外では現地ニーズに最適化された形で命を繋ぎ、今も走り続けている。ブランド名としての信頼性と、コストと実用性の絶妙なバランスによって生き残っている好例だ。かつてのサニーを知る日本のドライバーにとって、異国の地で出会う知らない顔のサニーは、懐かしさと驚きをもって迎えられる存在だろう。

現代のサニーに脈々と受け継がれているのは、「庶民でも手の届く、信頼できる車」という初代からの哲学だ。形は変わっても、その本質は変わっていない。

日産にとってサニーは、グローバル戦略の重要な一角を担っている。先進国市場では高付加価値車にシフトした日産だが、新興国市場ではサニーのような実用車が依然として主力なのだ。現地で作り、現地で売る。この基本戦略により、サニーは各地域のニーズに応えられる車となった。日本から輸出するのではなく、現地で開発・生産することで、真にローカライズされた車が生まれるのである。

結語:時代を超えて愛される車

サニーは日本市場では静かに消えていったが、その名は海を越えて生き続けている。時代と場所が変われば、クルマもまた変わる。日本で姿を消した日産サニーは、海外では「進化したロングセラー」として今日も走っているのだ。

次回海外旅行でレンタカーを借りる際、もし予約サイトで「Sunny」の文字を見つけたら、ぜひ一度選んでみてほしい。そこには、懐かしくも新しい、サニーの新たな一面が待っているはずだ。

かつて日本の街角を颯爽と駆け抜けたあの車が、今も世界のどこかで、新しい物語を紡いでいる。それは、真のロングセラーが持つ魅力なのかもしれない。

---

この記事は2025年5月の情報に基づいています。車種や装備、可用性は地域や時期により異なる場合があります。