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なぜ私たちは特定の国に「エキゾチック」さを感じるのか - Inglehart–Welzel Cultural Mapが明かす旅への憧れの科学的メカニズム

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旅好きなら誰しも経験があるはずだ。なぜかある国や地域に対して、説明のつかない強い憧れや神秘性を感じてしまうことが。単純に物理的距離の問題ではない。例えば私の場合、地理的にはラテンアメリカよりも日本に近いはずのアラブ世界やアフリカに、なぜか特別な「エキゾチック」さを感じてしまう。そして、この傾向は私に限った話ではなく、多くの旅人に共通する心理だろう。

この不思議な現象には、実は深い科学的根拠がある。政治学者ロナルド・イングルハートとクリスチャン・ヴェルツェルが開発した「Inglehart–Welzel Cultural Map」という理論が、私たちの旅への憧れの正体を明確に説明してくれるのだ。

人類最大規模の価値観調査が明かした真実

世界価値観調査(World Values Survey)は、1981年から継続されている人類史上最大規模の価値観に関する国際比較調査だ。これまでに100以上の国と地域、のべ40万人以上を対象に実施され、人類の価値観の全体像を浮き彫りにしてきた。

イングルハートとヴェルツェルは、この膨大なデータを分析し、驚くべき発見をした。世界中の多様に見える価値観は、実はたった2つの軸で体系的に整理できるというのだ。

https://www.worldvaluessurvey.org/WVSContents.jsp?CMSID=Findings

第一の軸:伝統的価値観 vs 世俗合理的価値観

伝統的価値観を重視する社会では、宗教が人々の生活に深く根ざし、親子の絆や権威への敬意が社会の基盤となっている。離婚、中絶、安楽死などは強く拒絶され、国家への誇りが高い。

世俗合理的価値観を持つ社会は、これらと対照的だ。宗教の影響力は限定的で、個人の理性的判断が重視される。伝統的な権威よりも論理的思考が優先される。

第二の軸:生存価値観 vs 自己表現価値観

生存価値観を重視する社会では、経済的・物理的安全が何よりも優先される。外国人への警戒心が強く、同性愛者などへの寛容度は低い。変化よりも安定を求める傾向が強い。

自己表現価値観を重視する社会では、基本的な生存が保証されている前提の下で、環境保護、多様性の尊重、政治参加、ジェンダー平等などが重視される。人々の主観的幸福感や信頼度も高い。

世界の文化圏マップ:なぜアラブ・アフリカが最もエキゾチックなのか

この2つの軸で世界各国をプロットすると、明確な文化圏が浮かび上がる。

プロテスタント欧州圏スウェーデンノルウェー、ドイツなど)は、世俗合理的価値観と自己表現価値観の両方で最高レベルを示し、マップの右上に位置する。

英語圏アメリカ、イギリス、オーストラリアなど)は一つのクラスターを形成しているが、特にアメリカは他の先進国と比べて意外なほど伝統的な価値観が強い。

共産主義(ロシア、ブルガリアウクライナなど)は、世俗合理的だが生存価値観の強いエリア(左上)に集中している。

そしてイスラム圏・アフリカ諸国(モロッコ、エジプト、ヨルダン、ジンバブエなど)の多くは、伝統的価値観と生存価値観の両方が強い左下のエリアに位置している。

日本は、世俗合理的価値観がかなり強く、自己表現価値観も中程度以上の水準にあり、右上寄りに位置している。

文化的距離が生む「エキゾチック」の正体

ここで重要な発見がある。日本(右上寄り)とアラブ・アフリカ諸国(左下)の価値観的距離は、理論上最大級なのだ。

研究報告書には、この現象について興味深い説明がある:

「生存が不確実な時、文化的多様性は脅威として映る。しかし生存が当然視されるようになると、民族的・文化的多様性は次第に受け入れられるようになる。ある地点を越えると、多様性は単に許容されるだけでなく、興味深く刺激的なものとして積極的に価値づけられる。ポスト工業社会の人々は、新しい料理を味わうために外国料理レストランを探し回り、エキゾチックな文化を体験するために大金を払って長距離を旅行する。」

つまり、我々がアラブ世界やアフリカに感じる「エキゾチック」さは、物理的距離ではなく文化的価値観の距離の大きさから生まれているのだ。現代の日本人の多くは基本的な生存が保証された環境で育っているため、本能的に自分たちとは最も異なる価値観の地域に魅力を感じるようになる。

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個人レベルでの変化:なぜ年齢とともに憧れる場所が変わるのか

この理論は、個人の人生における旅行への関心の変化も説明する。

若年期には、日本よりも自己表現価値観が発達した欧米社会への憧れが強い傾向がある。アメリカのポップカルチャーやヨーロッパの個人主義的文化が、「自由」の象徴として映る。

年齢を重ね、経験を積むにつれて、自分自身の価値観もより自己表現価値観に近づく。すると今度は、さらに大きな文化的ギャップを求めるようになり、アラブ世界、アフリカ、南アジアなどへの関心が高まる。

多くのバックパッカーに共通する、アラブ世界やアフリカへの憧れも、もしかするとこのメカニズムで説明できるのかもしれない。

文化圏の形成要因:宗教と歴史の刻印

各文化圏の形成には、宗教的伝統植民地経験が大きく影響している。

宗教の影響は、現在の宗教実践のレベルを超えて持続する。例えば、ドイツやオランダは現在ではカトリック教徒の方が多いにもかかわらず、歴史的プロテスタント社会として分類される。過去数世紀にわたるプロテスタンティズムの影響が、教育制度や社会制度を通じて国民全体の価値観に浸透しているからだ。

植民地経験も重要な要因だ。ラテンアメリカ諸国とフィリピンは地理的に離れているが、スペイン植民地時代とカトリック教会の影響により類似の価値観を示している。英語圏諸国も同様で、イギリスからの大規模な移民によって形成された社会は、地理的に離れていても文化的に近い特徴を示している。

文化的近代化の二段階プロセス

研究によると、文化的近代化は二段階のプロセスを経る。

第一段階(農業社会→工業社会)では、主に伝統的価値観から世俗合理的価値観への変化が起こる。宗教の影響力が弱まり、科学的・合理的思考が浸透する。

第二段階(工業社会→ポスト工業社会)では、生存価値観から自己表現価値観への変化が起こる。基本的な安全が確保されたことを前提に、環境保護、多様性の尊重、政治参加などが重視されるようになる。

アラブ・アフリカの多くの地域は第一段階の変化も十分に経験していないため、日本との価値観的距離が最大級になる。これが、物理的距離を超えた文化的「遠さ」として感じられ、強烈な「エキゾチック」さを生み出している。

グローバル化と価値観:実は収束していない現実

よく「グローバル化により世界の文化が均質化している」と言われるが、World Values Surveyのデータは全く逆の傾向を示している。

過去30年間で、先進国では自己表現価値観が強化されたが、経済発展が停滞している国々では価値観の変化も少ない。その結果、先進国と途上国の価値観格差は拡大しているのだ。

これは旅行者にとって興味深い意味を持つ。グローバル化により「どこに行っても同じ」になるのではなく、むしろ文化的多様性は維持・拡大されている。異文化体験を求める旅行者にとって、世界はより魅力的になっているとも言える。

実践的考察:価値観理論を踏まえた旅行の視点

この理論を参考にしながら、旅行について考えてみることもできる。ただし、これはあくまで統計的傾向に基づく一般論であり、個人の実際の体験や感じ方は人それぞれ大きく異なることは強調しておきたい。

文化的距離による分類

文化的に近い地域:韓国、台湾、シンガポールなどは、研究上は日本と比較的近い価値観を示すため、基本的な社会の仕組みに共通点が多い可能性がある。

中程度の文化的距離:ヨーロッパ諸国やアメリカは、一般的に日本よりも自己表現価値観が発達した社会として位置づけられ、「個人主義」や「多様性の尊重」といった異なる価値観に触れる機会となる場合が多い。

文化的距離が大きい地域アラブ諸国、アフリカ、南アジアなどは、日本から最も大きな文化的距離にあるため、強烈な異文化体験を提供する可能性がある。ただし、価値観の違いによる困惑や戸惑いも大きくなる場合があるだろう。

文化的背景への理解

文化的距離が大きい地域に興味がある場合、表面的な観光情報だけでなく、その地域の価値観的背景を少し理解しておくと、現地での体験がより深いものになる可能性がある。

例えば、なぜその社会で家族の絆が重視されるのか、宗教がどのような役割を果たしているのかといった背景を知ることで、単なる「違い」として感じるだけでなく、その理由も含めて理解できるかもしれない。

結論:「エキゾチック」は文化的距離の科学だった

私たちが特定の国や地域に感じる「エキゾチック」さは、決して偶然や単純な個人的嗜好の問題ではないかもしれない。Inglehart–Welzel Cultural Mapの研究が示すように、それは文化的価値観の距離という、ある程度客観的に測定可能な要素と関連している可能性がある。

ただし、これはあくまで統計的傾向に基づく理論であり、個人の実際の感じ方や体験は人それぞれ大きく異なるということは改めて強調したい。理論では説明できない個人的な体験や直感的な魅力も、旅行の大きな動機となるのは当然のことだ。

それでも、この理論を知ることで、自分がなぜ特定の地域に惹かれるのかを客観的に考える一つの視点が得られるのは確かだろう。旅人の多くがアラブ世界やアフリカに感じる強い憧れも、もしかするとこの文化的距離と関係があるのかもしれない。

次回旅行先について考える時、単に「有名だから」や「近いから」だけでなく、「その地域の文化的背景にどんな魅力を感じるか」という観点も加えてみてはどうだろう。それが表面的な観光を超えた、より充実した旅行体験につながる可能性を切り拓くことだろう。


参考:World Values Survey - Findings & Insights
Inglehart, R & C. Welzel. 2005. Modernization, Cultural Change and Democracy: The Human Development Sequence. New York: Cambridge University Press