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クリントンが訪れた陽朔興坪の秘境「漁村」を目指して①事前準備編:地図なき道への挑戦

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桂林・陽朔といえば、水墨画のような山水風景で知られる中国屈指の観光地である。しかしその陽朔に、観光客がほとんど訪れることのできない「幻の村」があることをご存知だろうか。

その名は興坪漁村(渔村)。1998年にクリントン大統領が訪れたことで知られるこの古村は、2025年現在、車も通らず、橋も架かっていない、文字通りの"陸の孤島"となっている。

私は実際にこの村を訪れることに挑戦した。結果として、想像以上の困難に直面し、多くの教訓を得ることになった。この記事は、今後この村を訪れようと考えている方々のためのヒントとなれば、という思いで綴るものである。

まずは事前準備編として、漁村とは何か、なぜ到達困難なのか、そしてどのような計画を立てたのかを詳しく解説したい。

興坪漁村とは何か――500年の歴史を持つ、忘れられた村

「漁村」という字(あざ)の漁村。

興坪漁村(正式名称は単に、漁村)は、明朝万暦年間の1506年に建てられた、500年以上の歴史を持つ古村である。漓江のほとりに位置し、青いレンガと黒い瓦、馬頭壁や飛檐、彫刻の施された窓枠など、完全な形で残る古建築が特徴となっている。

この村が単なる古い村落ではなく、特別な存在である理由はいくつかある。

まず、建築様式の完全性。中国南部の伝統的な民居建築の特徴である馬頭壁(防火壁を兼ねた装飾的な山形の壁)、飛檐(軒先が跳ね上がった屋根)、精巧な木彫りの門窓など、明清時代の建築様式がほぼそのまま残されている。これは中国全土を見渡しても、決して多くはない。観光地化された古鎮では、しばしば「復元」や「修復」という名の下に本来の姿が失われることがあるが、漁村は交通の不便さゆえに、そうした手が加えられることなく、ほぼ原型を保っているのである。

次に、立地の特殊性。漁村は漓江の川岸に位置しているが、対岸の興坪古鎮とは橋で結ばれておらず、車道も通っていない。この「隔絶性」が、結果として村の古い姿を保存することになった。観光地化の波から取り残され、時間が止まったような空間が生まれたのである。

そして、歴史的な訪問者の存在。1921年には孫文孫中山)が、1998年にはアメリカのクリントン大統領がこの村を訪れている。特にクリントンの訪問は、当時大きく報道され、桂林・陽朔の名前が国際的に知られるきっかけとなった。村には今も、両者の訪問を記念する写真が飾られている。

かつての繁栄と現在の姿

「漁村」という名前が示す通り、この村はかつて漁業で栄えた集落であった。漓江の豊かな漁業資源を背景に、村には裕福な家々が立ち並んでいたという。精巧な木彫りの装飾や、広い敷地を持つ邸宅の存在が、当時の繁栄を物語っている。

明清時代、漓江の水運は広西地方の経済を支える重要な動脈であった。漁村はその水運の要所に位置し、漁業だけでなく交易でも栄えた。村に残る大きな邸宅の多くは、豪商や地主のものであったと推測される。

現在は廃屋と化した建築が目立つ

しかし時代の流れとともに、村は衰退していった。近代化により水運の重要性が低下し、若者は都市へ出て行き、漁業も以前ほどの勢いを失った。交通の不便さが、さらに人口流出に拍車をかけた。現在、古建築の多くは無人となり、村全体に静寂と哀愁が漂っている。

かつて富を誇った大きな邸宅は、今は屋根が一部崩れ、壁に草が生え、ゆっくりと自然に還ろうとしている。それでも、建築の骨格は残り、かつての姿を偲ばせる。この「繁栄と衰退」の対比こそが、漁村を訪れる者の心を打つのである。

混同に注意:3つの「漁村」

ここで重要な注意点がある。興坪周辺には似た名前の場所がいくつかあり、混同されがちである。私自身も事前調査で、この混同に悩まされた。

まず、興坪古鎮。これは観光地として整備された古い街並みで、多くの観光客が訪れる。レストランや土産物店が立ち並び、20元札の裏面に描かれている山水風景を見られる場所として有名だ。しかし一部の記事やブログでは、この興坪古鎮を「興坪漁村」と誤って呼んでいるものがある。これは完全な誤用である。興坪古鎮は賑やかな観光地であり、本稿で述べる静寂の古村とはまったく異なる。

次に、興坪古鎮から対岸に渡ったすぐのところにある大河背周辺。百度地図を見ると、このあたりにも「漁村」という地名表記がある。しかしこれは同名の別の集落であり、クリントンが訪れた村ではない。おそらく、かつて漁業を営む集落だったため「漁村」と呼ばれているのだろうが、歴史的価値や建築物の規模は、本稿で述べる漁村とは比較にならない。

今回目指すのは、これらとは異なる、クリントンが訪ねた集落「漁村(渔村)」である。興坪古鎮から漓江を挟んで南側、山の向こうに位置する、本当の秘境である。地図上では、興坪古鎮から直線距離で約3〜4キロ程度の位置にあるが、その間に山があり、道がないため、大きく迂回する必要がある。

なぜ「到達困難」なのか――2025年現在の現実

この村への訪問が困難な理由は明確である。車道も橋も通っておらず、公式な交通手段がほぼ存在しないのである。

一昔前までは、興坪から筏などで漓江を下って渡ることができたようである。地元の船頭に料金を払えば、観光客でも比較的容易に村へアクセスできた。クリントンが訪れた1998年頃は、おそらくこのルートを使ったのだろう。当時の記録写真を見ると、クリントンも船で村に到着している様子が伺える。

しかし近年、状況は大きく変わった。漓江の環境保護と観光管理の強化により、政府の規制が厳しくなったのである。許可を持たない船や筏による観光客の輸送は取り締まりの対象となり、地元の船頭に頼んでも「ダメだ、捕まってしまう」と断られることがほとんどになったと言う。

漁村行きの遊覧船は、漁村前の沖に少し停泊するだけで、漁村に寄港するわけではない。

また、興坪碼頭(埠頭)からは、漁村への遊覧船が出ている。しかしこれは期待できない。この遊覧船は漁村の手前まで船で行き、川の上から遠くに村を眺めて帰ってくるだけの観光コースである。上陸はできないのだ。

船上から見る漁村も、確かに美しい景色かもしれない。しかし実際に足を踏み入れ、古建築を間近で見て、その空気を感じることはできない。私が求めていたのは、その「体験」であり、遠くから眺めるだけでは満足できなかった。

もう一つの方法として、漁村内の民宿を予約し、民宿に筏で送迎してもらうという手がある。民宿の営業として行う送迎であれば、どうやら規制の対象外となるようだ。

しかし調べてみると、現在漁村内の民宿は中国内地の宿泊客のみを受け入れているようであった。予約サイトを見ても、外国のパスポート番号を入力する欄がない。あるいは、予約時に身分証明書(中国の身分証)の番号を要求される。外国人、あるいは外国のパスポートを持つ者の予約は、システム上できないのである。

つまり、2025年現在、外国人が公式に漁村にアクセスするには、山の中の地図なき道を歩いていくしかないのである。

※ただし、本シリーズ記事③④で解説する予定だが、復路については少し特殊で、筏を利用して興坪へ戻る非公式ルートが存在する。詳しくは、続編記事をお待ちいただきたい。

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情報の不確かさ――ネット上に確固たる道はない

漁村への徒歩ルートについて、事前に情報を集めようとした。しかしここで大きな壁にぶつかった。確固たる情報がネット上にほとんど存在しないのである。

高徳地図や百度地図といった、中国で最も使われている地図アプリを開いても、興坪古鎮から漁村までの道の記載がない。漁村の位置そのものは表示されるが、そこへ至る道は描かれていないのだ。

衛星写真モードに切り替えて確認しても、部分的にうっすらと山道のようなものが見えるだけ。明確なルートは示されていない。山の緑に覆われた中に、薄く線が見える箇所があるが、それが実際に通行可能な道なのか、それとも単なる地形の影なのか、判断がつかない。

つまり、現代の便利な地図アプリが、まったく役に立たないのである。これは、日本や先進国の山歩きに慣れている人間にとって、かなり不安な状況であった。

小紅書に散らばる断片的情報

唯一の手がかりは、中国版インスタグラムとも言える小紅書(シャオホンシュー)であった。「兴坪渔村 步行」といったキーワードで検索すると、実際に徒歩で行ってみた、という中国人旅行者の記録がいくつか見つかった。

これらの投稿は貴重な情報源であったが、問題があった。それぞれの記録が微妙に異なる情報を提供しているのである。

ある投稿では「獅子嵅から出発して1時間半」と書かれているが、別の投稿では「2時間以上かかった」とある。この差は何なのか。個人の体力差なのか、それとも道順が異なるのか。

ルートについても、「果樹園を通過する」という点は共通しているが、具体的な分岐点や目印については曖昧な記述が多く、写真も限られていた。「ここで右に曲がる」とだけ書かれていても、その「ここ」がどこなのか分からない。

ある投稿では「漁村行きの標識がある」と書かれていたが、それがどこにあるのか、どのタイミングで現れるのかは不明である。標識に従えば良いのか、それとも標識は途中で途切れるのか。

また、投稿の日付も様々である。半年前のものもあれば、2年前のものもある。山道は季節や天候、管理状況によって変わる可能性がある。古い情報が、現在も有効なのか確信が持てなかった。

総合的に見えてきた大まかなルート

複数の情報を総合し、地図の衛星写真と照らし合わせながら、以下のような大まかなルートが見えてきた。

  1. 興坪古鎮から「獅子嵅」方面へ向かう
  2. 獅子嵅から南方面に進み、果樹園エリアを抜ける
  3. 山道に入り、峠を越える
  4. 下りながら漁村へ到達

所要時間は片道約1.5~2時間。距離は徒歩で5〜6キロ前後だろうか。ただし、これらはすべて推測であり、確証はない。

しかし、それ以上の詳細は分からない。どこで曲がるのか、どの分岐を選ぶのか、道が分かりにくい箇所はあるのか、迷いやすいポイントはどこか。そうした実践的な情報は、ほとんど得られなかった。

楽観的な計画――そして後悔することになる判断

情報が不確かな中、私は一つの判断を下した。

自分自身、体力や歩くスピードには自信があった。日本でも山歩きの経験があり、5キロ程度の距離であれば、通常の徒歩時間よりも早く歩ける自信があった。

「ネット上の情報は、おそらく一般的な観光客の時間だろう。自分なら、急ぎ目で歩けば1時間、長くても1.5時間程度で漁村までたどり着けるだろう」

そう楽観視して、計画を立ててしまったのである。

当日のスケジュールは、こうであった。

  • 10:30 興坪古鎮を出発
  • 11:30〜12:00 漁村に到着(片道1〜1.5時間の想定)
  • 12:00〜13:00 漁村で観光・撮影
  • 13:00 漁村を出発
  • 14:00〜14:30 興坪古鎮に帰着(帰りは少し早いと想定)
  • 15:30 陽朔駅から高鉄出発

今振り返れば、これはあまりにもタイトすぎるスケジュールであった。

興坪古鎮から陽朔駅までは車で約30分。15:30の高鉄に乗るには、遅くとも14:30には興坪古鎮に戻り、すぐに車(配車アプリで手配予定)に乗る必要がある。つまり、出発から4時間以内に往復を完了させなければならない。

しかも、この計画には致命的な問題があった。道に迷った場合の時間的バッファーがまったくなかったのである。

もし片道2時間かかれば、往復で4時間。村での滞在時間はゼロになる。もし道に迷って30分余計にかかれば、高鉄に間に合わない。

さらに、体力の消耗や、暑さによる疲労、水分補給の時間なども考慮していなかった。

次回、往路編へ続く

この事前準備編では、漁村とは何か、なぜ到達困難なのか、そしてどのような計画を立てたのかを詳しく解説した。

次回の②往路編では、実際の道中の様子を詳しくお伝えする。獅子嵅から山道へ、果樹園での迷走、そして迷子道からの脱出劇。果たして私は無事に漁村にたどり着けたのか。

漁村を訪れようと考えている方々にとって、私の経験が少しでも参考になれば幸いである。

(②往路編に続く)

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