前回までの記事では、Yaqeta村への到着、村の散策、そしてカヴァセレモニーについてレポートしてきた。今回は、ホームステイでの食事について詳しく紹介したい。
村でのホームステイの大きな魅力の一つが、ありのままの島の食事を体験できることだ。リゾートのような洗練された料理ではないが、島で採れた食材を使った素朴で力強い料理は、村の暮らしを肌で感じられる貴重な体験だった。
なお、Yasawa Homestaysからの案内では、定型的に「ビュッフェ形式」「アフタヌーンティー付き」などと書いてあったが、実際にはホームステイごとによって提供内容は異なる。
Yaqeta Villageでは、昼食・夕食・朝食の3食スタイルだった。ただ、かなりお腹一杯になる内容なので安心してほしい。量は十分すぎるほどある。フィジーの人々は、ゲストをもてなす際に食事を豊富に用意することを大切にしているようだ。
昼食:パンの木との出会い
村に到着して間もなく、Rustyさんが昼食を用意してくれた。

テーブルに並んだのは、チキンと短いパスタのようなものを使ったスパイス料理、そして見慣れない黄色の塊。一見するとフルーツのようにも見える。

これは何なのか、と尋ねると、Rustyさんが笑いながら教えてくれた。パンの木だよ、食べたことある?
パンの木!まさか実物を目の前にする日が来るとは。家にたどり着くまでの道中、あちこちの木に巨大な実がぶら下がっているのを見てきた。あれがパンの木だったのか。ロビンソン・クルーソーの物語に出てくる、あの伝説の植物。まさに私たちは今、そんな南国の離島にいるのだ。

パンの木(Breadfruit)は、南太平洋の島々で何世紀にもわたって主食として食べられてきた作物だ。茹でたり蒸したり、あるいは焼いたりして食べる。一口食べてみると、「パン」という名前から想像するものとは全く違う。むしろ甘くないサツマイモやジャガイモのような、ほくほくとした食感だ。味はかなり淡白で、それ自体に強い味はないが、炭水化物としての満足感は十分にある。島民にとってはメインの主食となる作物で、米や小麦が手に入りにくい離島では、このパンの木が生活を支えているのだ。

興味深いのは、パンの木が非常に生産性の高い作物だということだ。一本の木から大量の実が採れ、しかも島のあちこちに自生している。村を歩いていると、どこにでもパンの木が生えている。自然の恵みをそのまま食料にしている、まさに島の生活の基盤となる植物なのだ。
チキンのほうは、骨ごと無造作にぶつ切りにされている。ナイフの入れ方も力強く、いかにも手作り感がある。事前の案内で「リゾートのような洗練された内容ではない」とは聞いていたが、まさにその通りだ。ただ、この素朴さこそが、日常の食事そのものを見せてくれる。村の人々が普段食べているものを、そのまま私たちも食べているのだ。
Rustyさんは少し申し訳なさそうに説明してくれた。本当は魚料理を出したかったのだが、今朝の釣果がいまいちだったため、仕方なくチキンを買ってきたのだと。

その話を聞いているまさにそのとき、家の周りでは鶏たちが元気に走り回っている。「もしかして、彼らを…?」と冗談半分に聞いてみたが、Rustyさんは笑って首を振った。いやいや、買ってきたんだよ、と。村には確かにたくさんの鶏が放し飼いにされているが、それぞれちゃんと飼い主がいるのだろう。おそらく近くのリゾートか、あるいは物資輸送のボートで運ばれてきたものを購入したのだと思われる。
献立が朝の釣果に左右される。この事実だけでも、島の生活がいかに自然と密接に結びついているかが分かる。
夕食:魚尽くしの食卓
夕食は昼とは全く異なる構成だった。

主食は緑色のバナナ。甘いフルーツとしてのバナナではなく、プランテーンと呼ばれる調理用のバナナだ。茹でてあり、芋のようにほくほくとしている。これもまた、島で自生している食材だ。そして焼き魚が2種類、魚のフライ、オムレツのような卵料理。午後にかけて釣りに出たのだろうか。魚が主役の食卓だ。
ところがRustyさんは、やはり申し訳なさそうな表情で言った。今日は魚がこれしか獲れなかった、と。
いやいや、十分すぎるほどあるよ!私たち日本人の胃袋には、これで十分すぎるくらいだ。むしろ食べきれるか心配なくらいの量だった。

焼き魚は2種類。一つは少し緑がかった色の魚、もう一つは黄色い尻尾が特徴的な小ぶりの魚。名前を聞いてみたが、Rustyさんもよく分からないとのこと。見た感じはエンペラーフィッシュのような気もするが、確信はない。フィジーの海には多種多様な魚がいて、地元の人々も全てに名前をつけているわけではないのかもしれない。あるいは、フィジー語の名前があっても、英語に対応する名前がないのかもしれない。
一口食べてみると、淡水魚に近い味わいだ。海水魚特有の磯臭さはあまりなく、むしろ川魚のような風味がある。味付けは塩のみ、非常にシンプルだ。余計な調味料を使わず、素材の味をストレートに引き出している。汗をかいた体には、このシンプルな塩味が染み渡る。体が欲している味だ。

魚のフライは、また別の種類の魚を使っている。意外にも日本で食べる魚フライに近い、出汁のような旨味がある。これは魚そのものが持っている味なのだろうか。あるいは、揚げることで引き出された旨味なのか。いずれにしても、非常に食べやすく美味しかった。
プランテーンは、バナナというよりも完全に芋だった。ほくほくとした食感で、甘みはほとんどない。パンの木と同様、これも炭水化物源として重要な食材なのだろう。島では米が貴重なため、こうした自生する炭水化物源が生活を支えているのだ。

食事を見守る村の子供たち
夕食中、興味深い体験をした。
村の子供二人が、私たちと同じ部屋に待機し、私たちが食事をする様子をじっと見ているのだ。時折雑談を交えながら、でもずっとこちらを見守っている。

最初は少し戸惑った。どういう状況なのだろう?と。しかし聞いてみると、給仕係として、皿を片付けるタイミングを待っているのだという。確かに事前の案内書に「食事中、家族や村の人々があなたを見守ることがあります。これはフィジーの伝統的なホスピタリティで、失礼な行為ではありません」と書いてあった。ゲストが食事を楽しんでいるかを確認し、必要があればすぐに対応できるようにする。これがフィジーの伝統的なおもてなしの形なのだ。
待たせて申し訳ないなと思いつつ、せっかくなので少し雑談をすることにした。学校のことを聞いてみた。
彼らの英語は非常に流暢だ。発音もきれいで、私たちの質問を的確に理解し、答えてくれる。フィジーの教育制度がしっかりしているのだろう。離島の小さな村でも、子供たちはきちんと教育を受けている。

食事をしながらの会話は、思いのほか楽しかった。子供たちは村の生活について色々と教えてくれた。こうした何気ない会話が、村の人々との距離を縮めてくれる。食事を見守るという習慣も、単なる給仕ではなく、コミュニケーションの機会なのだと理解できた。
朝食:ロティとレモングラスティー
朝食は、ココナッツミルクで作ったロティと、レモングラスティー。

ロティは見た目はシンプルなクレープのようだが、一口食べると濃厚なココナッツの香りが口いっぱいに広がる。生地にココナッツミルクを練り込んで焼いているようで、非常にリッチな味わいだ。もちもちとした食感で、かなりずっしりと腹に溜まる。これ一枚でもう満腹になりそうなほどのボリュームだ。
ロティは南アジアからの影響を受けた料理だろう。フィジーにはインド系の住民が多く、彼らの食文化が島の料理にも影響を与えているのだ。ただし、このココナッツミルク入りのロティは、南太平洋独特のアレンジなのかもしれない。
後で村の人たちに「朝食にロティを食べた」と言うと、「Oh Roti!」と目を輝かせて喜んでくれた。なぜそこまで反応するのか最初は分からなかったが、おそらくロティは村人たちにとって特別な朝食メニューなのだろう。手間がかかるため、毎日食べるものではなく、ゲストをもてなす際に作る特別な料理なのかもしれない。
そして、レモングラスティー。

マグカップを見た瞬間、思わず笑みがこぼれてしまった。自生しているレモングラスをぶつっと引っこ抜いて、そのままマグカップに突っ込んだかのような見た目だ。
このワイルドな見た目が、いかにも島の生活らしい。市販のティーバッグのような小綺麗さはないが、その代わりに自然の力強さが溢れている。
しかし、これが驚くほど美味い。
一口飲んだ瞬間、今まで飲んだレモングラスティーとは次元が違うことが分かった。新鮮なレモングラスをそのまま使っているからこその、爽やかで力強い香りと味わい。市販のティーバッグとは比べ物にならない。レモンのような柑橘系の香りと、ハーブ特有の清涼感が絶妙に融合している。
レモングラスも島のあちこちに自生している。村人たちは、必要な時にそれを摘んで、お茶にしたり料理に使ったりするのだろう。冷蔵庫もスーパーもない島で、こうした自生する植物が日常生活を豊かにしているのだ。
自然の力を直接感じるような、生命力に溢れた一杯だった。これこそが、本物のレモングラスティーなのだと実感した。
まとめ:食事から見える島の暮らし
Yaqeta村での食事は、リゾートのような洗練されたものではない。しかし、それこそが貴重な体験だった。パンの木、プランテーン、その日の釣果で決まる魚料理、荒らしく葉が突っ込まれたレモングラスティー。どれも素朴で、手作り感に溢れている。
こうした食事を通じて、島の暮らしが見えてくる。島のあちこちに自生する植物を食料にする。自然と共に生き、自然の恵みを最大限に活用する。そんな生活がここにはある。添加物も、複雑な調味料もない。ただ、素材が持つ本来の味がある。時には淡白で、時には力強く、時には驚くほど香り高い。
リゾートの洗練された料理も素晴らしいが、村での素朴な食事は、それとは全く異なる価値がある。食事を通じて、島の人々がどのように暮らし、何を食べ、どうやって食材を手に入れているのかが見えてくる。自給自足に近い生活が、今も南太平洋の離島には残っているのだ。
そして何より、Rustyさんや村の人々が、心を込めて準備してくれた食事だ。その温かさこそが、この食事の一番の味付けだった。食事を見守る子供たち、申し訳なさそうに魚が少ないと言うRustyさん、ロティを喜んでくれる村人たち。こうした人々との交流が、食事をより豊かなものにしてくれた。
村での食事体験は、単なる食べ物の話ではない。それは、島の文化、自然との共生、人々の温かさを、五感で感じる体験なのだ。
次回の記事では、村での滞在を締めくくる内容をレポートする。