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ヒヴァで旅を終えるのはもったいない!半日で巡る古代ホレズムの城塞群へ - カラカルパクスタン・カラ巡り①【ウズベキスタン】

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ウズベキスタンのもう一つの顔、カラカルパクスタンへ行ってきました

ウズベキスタンを旅する人の多くは、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァの三都市を回って満足する。それはそれで正しい。青いタイルのモスクが立ち並ぶレギスタン広場、シルクロードの隊商宿が今も残るブハラの旧市街、そしてヒヴァの城壁都市イチャン・カラ。これだけでも十分すぎるほどの密度だ。

でも、ちょっと待ってほしい。

ヒヴァを最後の目的地として旅を締めくくろうとしているなら、半日だけ、もう少し足を伸ばしてみる価値がある。車で走ること1時間半ほど。そこには、サマルカンドともブハラとも全く異なる、もう一枚のウズベキスタンが待っている。

砂漠の中に崩れかけた城塞が点在する風景。そのどれもが、イスラム以前——紀元前後の古代王国の遺跡だ。観光客は少なく、舗装路が突然砂道に変わり、地平線まで何もない荒野の中に突然、2000年前の城壁が現れる。

そもそもウルゲンチ経由で帰るなら、寄らない理由がない

ここで現実的な話をひとつ。

ヒヴァの空の玄関口、ウルゲンチ空港

ヒヴァから国内外の空路で移動する場合、最寄りのウルゲンチ空港まではタクシーで向かうのが一般的だ。ヒヴァ市内からウルゲンチ空港まではおよそ30〜40分、タクシー代は避けられないコストとしてあらかじめ計算に入っている。

ならば、その足でカラカルパクスタンの遺跡に寄ってから空港へ向かうのはどうか。方向的にもそれほど大きく外れるわけではなく、チャーター料金にはそのまま空港送迎まで含めてもらえる。つまり「観光+移動」がワンセットで完結する。タクシー代が多少かかることを踏まえれば、かなりスマートで割のいい選択だと思う。

カラカルパクスタンと古代ホレズムについて

ところで、カラカルパクスタンについて少し説明しておこう。

ヒヴァを越えてアムダリア川を渡ると、行政区分が変わる。ウズベキスタン共和国の中に存在しながら、独自の議会と憲法を持つ自治共和国——カラカルパクスタン共和国だ。

砂漠が広がる、独特の景観のカラカルパクスタン

カラカルパク人はウズベク人とは別のテュルク系民族で、独自の言語と文化を持つ。面積はウズベキスタン全土の約40パーセントを占めながら人口は希薄で、観光的にも未開拓な部分が多い。ウズベキスタンの中の「もうひとつの国」と言っていい。

そしてこの地域一帯が、古代から「ホレズム」と呼ばれてきた場所だ。アムダリア川下流域の沃野に栄えたホレズム王国は、シルクロードの幹線からやや外れた位置にありながら農業と交易で繁栄し、ゾロアスター教を中心とした独自の文化圏を形成した。7世紀のアラブ侵攻でイスラム化し、13世紀にはモンゴル軍によって壊滅的な打撃を受ける。かつて緑豊かだった農地は砂漠に飲み込まれ、無数の城塞——カラ——だけが砂の中に残された。

「アヤズカラ 2」

今も砂漠に点在するカラ群は、その古代ホレズム王国の遺産だ。「Golden Ring of Ancient Khorezm(古代ホレズムの黄金の環)」と総称されるこれらの遺跡は、柵もなく案内板も最小限で、2000年前の城壁の上に一人で立って砂漠を見渡すことができる。

今回のルートと運転手

今回お世話になったのは、父と息子の二人でツアーガイドと車のチャーター事業を営んでいる親子だ。息子さんのほうはおしゃれなプロモーションビデオを制作していて、移動中に少し見せてもらったが、遺跡の映像がかなりプロフェッショナルだった。今回対応してくれたのはお父さんのほう。簡単な英語が通じ、社交的でサービス精神が旺盛だった。

同様のチャーターを企画したい場合は、是非こちらのQRコードから連絡を取っていただきたい

事前にいくつかの業者と個人ドライバーに料金を問い合わせていた。相場は安いところで35ドルくらいから、業者によってルートの柔軟性や英語対応の可否にも差があった。今回お願いしたのはホテル経由で紹介してもらった方で、値段だけで選んだわけではなく、何かあったときに話が通じやすいことと、こちらの要望に応じて臨機応変に動いてもらえそうという点を優先した。

今回アヤズカラを一緒に旅した白いセダン

結果として正解だった。最終的な行程は、ヒヴァ→アヤズカラ→トプラクカラ→キジルカラ→アクチャコル湖畔のユルトレストランで昼食→ウルゲンチ空港送迎、という盛りだくさんの内容になった。途中で立ち寄り先が増えても嫌な顔ひとつしない。料金は50ドルだった。

朝8時、ヒヴァのマドラサホテルを出発

8時ちょうど、宿泊していたマドラサを改装したホテルをチェックアウトし、待っていた車に乗り込んだ。

ダッシュボードにはコバルトのロゴが刺繍されたクッションが置かれ、フロントガラスには小さなコーランが吊るされていた。出発してすぐ、お父さんはお気に入りの音楽をかけてくれた。中央アジアらしい弦楽器の音が交じったポップスが車内に流れ、長距離ドライブの空気がほぐれた。

ヒヴァの街を抜けると、幹線道路をひたすら北へ走る。対向車線を荷台いっぱいに積み荷を載せたトラックが追い越していく。

アムダリア川を渡る

しばらく走ると、大きな橋に差しかかった。お父さんが「Amu Daryaだ」と教えてくれた。窓の外に広がる水面がアムダリア川だ。かつてアラル海へと注ぎ込んでいた大河で、現在は流量が大幅に減少しているとはいえ、橋の上からでも十分な幅がある。少し減速をしてくれたので、思わずシャッターを切った。

橋を渡り切ると、頭上に大きなゲートが現れた。「QORAQALPOG'ISTON RESPUBLIKASI / QARAQALPAQSTAN RESPUBLIKASI」と二言語で記された標識だ。ここからカラカルパクスタン。手続きは一切不要だが、「別の場所に入った」という感覚は確かにある。

ボストンという町を通過する

カラカルパクスタンに入ってからも、砂漠の中を一本道がひたすら続く。途中、「BOSTON / TUMAN MARKAZI(区の中心)」という看板が立つ小さな町を通過した。お父さんが「Boston! Boston!」と妙にテンション高く教えてくれた。おそらくアメリカのボストンと同じ地名だぞ、ということを言いたかったのだと思う。砂漠のど真ん中にボストン。確かにちょっとおもしろい。

さらに進むと、青いタイル装飾が施された立派な凱旋門が道をまたいで立っていた。キリル文字で「ЭЛЛИККАЛЬЯ」——エッリク・カラと書かれている。ウズベク語で「五十の城塞」を意味するこの地名が、この一帯にかつて無数のカラが存在していたことを教えてくれる。

今日訪れる3つのカラ

車中で運転手さんが取り出したのは、ラミネート加工の地図だった。アラル海を中心に、スルタン・ウイズ・ダグ山脈の麓から広がる古代ホレズムの遺跡群が色鮮やかに示されている。

今日の目的地は三か所。アヤズカラはカラカルパクスタンで最も壮観な城塞のひとつで3つのパートから成る複合遺跡、トプラクカラは1〜3世紀に栄えたクシャーナ朝の首都が置かれた場所、キジルカラは1〜4世紀に造られ一度放棄された後12〜13世紀に再建された遺跡で「キジル」はウズベク語で「赤い」を意味する。

地図を見ると、その他にも無数のカラが現在していることが分かる。

そして出発からおよそ1時間半。砂漠の地平に、丘の上の城塞の輪郭が見えてきた。

次回:アヤズカラ探訪編

この日のレポートはまだ続く。アヤズカラの城壁に登り、砂漠を一望したこと。トプラクカラの広大な遺構を歩いたこと。足元に広がる砂丘と、そこに佇むラクダのこと。そして最後に立ち寄ったアクチャコル湖畔のユルトレストランで食べた昼食のこと。次回以降、順を追って書いていく。