
イランに行ってみたいと思ったことはありますか。
ペルセポリスの遺跡、イスファハンの青いモスク、バザールの喧騒——中東の中でも、イランは旅好きの間で「実際に行くと最高だった」という声が多い国のひとつです。人々は親切で、物価は安く、観光地も充実している。それなのに旅行者が少ない理由のひとつが、「経済制裁」という壁です。
でも制裁と聞いて、「政治や外交の話でしょ、自分には関係ない」と思った方——少し待ってください。イランを旅しようとした瞬間から、制裁はごく身近な問題として現れてきます。クレジットカードが使えない、仮想通貨で友人の代わりに送金を頼まれる、PayPalのアカウントが凍結される——こうした話は、決して他人事ではありません。
本記事では、その全貌と渡航者の直面し得るリスクを順を追って説明します。
まず知っておくべき大前提——イラン旅行自体は違法ではない

最初に誤解を解いておきます。
日本人がイランに旅行すること、現地でお金を使うこと、ホテルに泊まること——これ自体は違法ではありません。イランへの観光旅行者は世界中にいますし、日本からも行けます(もっとも、2026年4月現在は戦争状態のため渡航をすべきではありませんが)。
ただし旅行者がイランに着いて最初に直面するのが、こんな現実です。
クレジットカードが一切使えない。
Visa・Mastercardはもちろん、銀行のキャッシュカードでATMから現金を引き出すことも不可能です。これはイランが不便な国だからではなく、制裁の直接的な結果です。Visa・Mastercardは米国企業であり、イランとの取引はOFAC規制に抵触するためサービスを提供できません。
つまりイランへの旅行者は、入国前に必要な現金(米ドルやユーロ)をすべて用意して持ち込み、現地でイランリアルに両替して使うのが基本になります。またオンラインでホテルを交通機関を事前予約・決済することも非常に限られます。事実上、完全キャッシュ経済の中で旅をすることになります。

そもそも「制裁」「OFAC規制」とは何か
ここで制裁の話を整理します。
米国はイランに対して1979年以来、断続的に経済制裁を科し続けています。その執行機関がOFAC(米国財務省外国資産管理局)です。制裁の基本は「米国人・米国企業がイランと取引することの禁止」ですが、ここが重要なポイントです——PayPal、Wise、Stripe、Visa、Mastercardなどはすべて米国企業です。
つまりこれらのサービスを使う全世界のユーザーが、間接的に制裁の影響を受けます。クレジットカードが使えないのはその典型例です。
日本にも「外為法(外国為替及び外国貿易法)」という規制があり、北朝鮮・イランの核関連活動に寄与する取引や制裁対象者への支払いは日本人・日本企業にも禁止されています。さらに米ドル建ての取引は米国の金融システムを経由するため、みずほ銀行やSMBCといった日本のメガバンクもOFAC規制への適合を確認しており、規制対象と判断した場合は取引を拒否・返却します。
「自分はアメリカ人でも米国企業でもないから関係ない」という認識は、残念ながら部分的にしか正しくありません。
旅行者が「善意で」引っかかりやすいケース
①PayPalのメモ欄に「イラン」と書いただけで送金が止まった
米国系の送金サービスはイラン関連のキーワードに非常に敏感です。米国のメディアがイランに関する記事を書いたスタッフへの原稿料をPayPalで送金しようとしたところ、メモ欄に「Iran」という文字があっただけで送金が止まった事例があります。スタッフは全員米国人で、イランとは無関係でした。
同様に、イラン国内でのツアーを提供する旅行会社に対しPayPalやWiseで代金を送金するとき、メモ欄に「Iran」「Tehran」などの文字を入れると、内容がイランと無関係でも送金が止まる可能性があります。
②イランから米国系サービスにアクセスしたらアカウントが凍結された
イラン旅行中に自分のPayPalやWiseアカウントを使って決済しようとすると、IPアドレスがイランと判定されてアカウントが凍結されるリスクがあります。旅行中のアカウント凍結は非常に困ります。イラン滞在中は米国系の送金・決済サービスを使わないことを強くお勧めします。
③現地の人の支払いを「善意で立て替えた」
旅行中に仲良くなったイラン人に頼まれて、ホテルやレストランの支払いをクレジットカードで立て替えた——善意の行動ですが、「イラン人へのサービス提供」とみなされる可能性があります。特に相手が制裁対象者(SDNリスト掲載者)である場合、立て替えた側も制裁違反に問われるリスクがあります。一般の旅行者が出会う人がSDNリストに載っている可能性は低いですが、頼まれても安易に応じないことをお勧めします。
「仮想通貨なら制裁を回避できる」は本当か
ここが最近特に注意が必要なポイントです。
クレジットカードが使えず国際送金もほぼ遮断されているイランでは、ビットコインやイーサリアムなどの仮想通貨が制裁回避の手段として広く使われています。実際にイランは仮想通貨マイニングを国家レベルで活用しており、制裁下での外貨獲得手段として機能してきました。現地で「仮想通貨で払える」「ビットコインで送ってほしい」という話が出やすい背景には、こうした事情があります。
では「仮想通貨なら追跡されない、大丈夫」かというと——答えはNOです。
OFAC規制は仮想通貨取引にも明示的に適用されます。Coinbase・Krakenなど米国系の主要取引所はイラン関係者のアカウントを凍結しており、2022年以降はOFACがブロックチェーン上のウォレットアドレスそのものをSDNリストに掲載し始めています。制裁対象のウォレットとの取引も違反になり得ます。
旅行者が引っかかりやすいのは次のようなケースです。現地で知り合った人から「仮想通貨で送金してほしい」と頼まれる、現地の人の代わりに海外の取引所でコインを購入して送る——善意であっても、制裁の網にかかる可能性があります。
「ブロックチェーンは匿名だから大丈夫」という認識も誤りです。ブロックチェーン上の取引はすべて公開台帳に記録されており、当局による追跡技術は近年急速に向上しています。
ビジネス渡航者が特に注意すべきケース
個人旅行者よりリスクが高いのが、中東でビジネスをしている方です。みずほ銀行が公式に公開している違反事例から、特に引っかかりやすいポイントを紹介します。
「隠れイラン取引」に注意。取引相手がUAEの会社であっても、その製品の最終使用者(エンドユーザー)がイラン企業であることを知りながら輸出した場合、OFAC規制違反になります。「直接イランと取引していない」は免罪符になりません。
物流ルートにも注意。クウェート向けの輸出であっても、商品がイランのBandar Abbas港を経由した場合は「イラン要素あり」と判断され、USD建て決済が違反になります。
迂回ルートも同様。タイの現地法人経由、第三国の商社経由など、迂回して決済を行っても、その取引がイランに関連していれば違反になります。
ビジネス渡航者は取引前に、相手企業がOFACのSDNリスト(ofac.treasury.gov)に掲載されていないか、その資本関係も含めて確認することを強くお勧めします。また規制対象国が関わる取引をメガバンク経由で行う場合は、事前照会が必要なケースがあります。
まとめ——「知らなかった」「善意だった」「仮想通貨だから」は通じない
整理するとこうなります。
イラン旅行自体は日本人には違法ではありません。ただし現地ではクレジットカードが一切使えないという制裁の現実があり、その不便さを補おうとして仮想通貨や米国系サービスを使うと、思わぬリスクが生じます。現地の人から頼まれた決済の立て替えや仮想通貨の送金代行も、善意では免責されません。ビジネス渡航者は取引の背景をより深く確認する必要があります。
「知らなかった」「善意だった」「仮想通貨だから匿名のはず」——いずれも免罪符にはなりません。旅行前にこの記事を読んだあなたは、もうその言い訳は使えません。知った上で、賢く動いてください。
この記事は一般的な情報提供を目的としており、法律的なアドバイスではありません。具体的な取引の適法性については、専門家または取引銀行にご相談ください。情報は2026年4月時点のものです。