前回、2時間をかけて困難な山道を越え、ようやく興坪漁村にたどり着いた。喉はからから、足はパンパン、そして高鉄の時間まで残り3時間弱。村での滞在時間はおそらく30分程度しか取れないだろう。しかしせっかくここまで来たのだから、と村の中へと足を踏み入れた。
前回記事はこちらから
静寂の中の生活

まずはあてもなく漁村内を散策してみる。狭い路地を歩いていくと、壁に「漁村」の地番札が掛かっているのが目に入った。間違いなく来れたのだと確信する。

確かに前評判通り、朽ちかけた廃屋が目立つ。屋根が一部崩れ、壁に草が生えている建物が並ぶ。しかし廃村になっているとのネット情報とは裏腹に、意外にも定住民がいるようだ。いくつかの家では今まさに炊事が行われており、煙が立ち上っている。昼ごはんの準備だろうか。農作業をしている老婆もちらほら見えた。狭い通りを歩くと、住民と思わしき老爺とも度々すれ違う。

彼らは山道を歩いて出入りしているのだろうか。それとも筏で対岸から通っているのだろうか。いずれにせよ、この不便な場所に今も人々が暮らしているという事実に驚かされる。
豪邸の名残――中庭を持つ建築群

いくつかの建物の中に入ってみる。今や古びた建築だが、中には立派な中庭を構える構造になっているコの字型、ロの字型の建築が多い。確かにかつての豪農による豪邸であったことがうかがえる。木彫りの装飾が施された門、精巧な窓枠、広い中庭。すべてが当時の繁栄を物語っている。

後ろにそびえるカルスト山とのコントラストが雄大だ。緑に覆われた奇岩が、古村の背景として屹立している。この景色はおそらく500年前から変わっていないのだろう。


民家の前には果物を剥いたあとのゴミが置いてある。そういえば喉が渇いていた。果物の香りに刺激される。しかし散策をするもののレストランや商店の類いは一つも見つからない。看板を掲げていないだけで、住民用のものがひっそりとあるのだろうか。それとも本当に何もないのだろうか。

東から西へ――農業の村

村を東から西へと横断した。農地、果樹園が広がっており、往路で見た柚子のような果物がたくさん植えられている。今や漁業というよりも農業で生計を立てている住民が多いのかもしれない。そういえばここに来てから漁村らしい魚臭は感じられない。
「漁村」という名前は今や過去の遺産であり、現在の主要産業は農業なのだろう。時代とともに産業構造が変わったのだ。それでも村の名前は変わらず「漁村」のままである。
港の風景――遊覧船からの視線

港に出てみると、モーター付きの筏がいくつか停泊している。船頭さんは見当たらない。みな近所の集落から筏でやってきて、漁村で農作業を行っているのだろうか。もしかすると漁村をセカンドベースとして使っている住民も多いのかもしれない。

漓江をのぞむ。時折、遊覧船が近くまでやって来る。前述のとおり、これらは興坪古鎮から漁村手前までやってUターンしていく遊覧船である。船上の観光客たちから、どうやって上陸したんだ、とでも言わんばかりの怪訝な視線が向けられる。
不思議に思ったのだろう。遊覧船では上陸できないはずの場所に、バックパックを背負った外国人が立っているのだから。
クリントンの建物

そういえば、漁村に来てからまだあのシンボリックな建物、クリントンが訪れたというあの建物を見かけていない。どこにあるのだろうか。ドローンを飛ばして上空から見てみる。しかし意外にも漁村は広く、どの建物がそれにあたるのか見当がつかない。

しかしもうまもなく時間切れである。本当に今すぐ出発しないと高鉄に間に合わないだろう。仕方なく諦めて漁村を出ようとしたとき、道を歩いていた爺さんに声をかけられる。
「クリントンの建物はもう見たかい?」
いや、ちょうど見ていなかった。見たい。爺さんは「じゃあついてきなよ」と案内をしてくれる。時間が心配だが、来都来了(せっかくここまで来たんだから)。爺さんについてクリントンの建物まで案内をしてもらうことにした。

建物に到着。漁村の中心から少し東北の方、ちょうど散策していた際に途中で引き返したあたりにあった。

建物の扉には鍵がかかっている。爺さんはおもむろにポケットから鍵を取り出し、解錠する。おそらく観光客向け商売として、何人かの村民が鍵を共用しており、必要に応じて開けられるようになっているのだろう。

中に入ると、確かに見覚えのある内装、そしてクリントンや孫文の写真が飾られている。当時の来訪の様子が生々しく写真で綴ってある。「実際にここにクリントンが立ったんだよ」と壁と床を指し示す。そこに立ってみる。1998年、アメリカ大統領がここに立った。その同じ場所に今、立っている。不思議な感覚である。

さて、この建物の屋上からの景色、そして屋根瓦が漁村随一のトップビューなのだが、これを見るためにはお金がかかり、40元とのこと。かなり高い気がしたが、言い値なのだろうか。せっかくだし、と爺さん宛にWeChatで支払い案内してもらう。

屋上からの眺望――瓦と山々

細く、古びた階段を何度も曲がりながら登り、屋上に着いてからは足早に写真を撮った。確かに立派な瓦屋根。そのバックにそびえる山々、素晴らしい景色だ。これを見にわざわざここまで来た。

屋根瓦は黒光りし、歴史の重みを感じさせる。その向こうにカルスト地形の山々がそびえる。この景色を独占している。往路の困難、1時間の迷走、喉の渇き。すべてがこの瞬間のためだったのだと思えた。

帰りは船便

さて、ところで時間がない。そう言えば、ネット上の情報では、帰りは住民に頼めば筏を出して興坪まで送ってくれるかも、という情報を目にしていた。ダメ元で爺さんに船を持っていないかと聞いてみる。
「もってるよ、どこまで行きたいんだ?」と嬉しい返事。
これはありがたい。時間のない中、リスクをとって迷子道を戻るより、川に沿って進んで筏で帰れれば圧倒的に速いはずだ。爺さんに興坪まで行きたい旨を告げると「良いよ、けどちょっと待って」と筏の持ち主に電話をしてくれた。しばし待てとのこと。

その間、爺さんがおもむろに近所の家の前に置いてあった文旦のような果物を包丁で割って、分けてくれた。道に迷った果樹園に転がっていたり、漁村の民家の前に皮が干してあるのを見て、ずっと気になっていたあの果実だ。この家は爺さんのか、それとも他所のか、わからないが。
地元の果実で喉の渇きを癒す

喉が渇いていたことを思い出し、文旦に食らいつく。味は少し薄めだが、身が固くて歯ごたえがあり美味しい。「どんどん食べな」とすすめてくれる爺さん。結局食べきれなかった分はカバンに詰めて持って帰らされた。
水を飲み干してから何時間も経っていた。この果物の水分が体に染み渡る。甘みと酸味のバランスが絶妙で、疲れた体に優しい。陽朔の秋はとにかく旬の果物が多く、観光客としては非常に嬉しい季節だ。そんな地産の恵みを楽しませてくれた爺さんの親切に感謝する。
しばらくして、電話主のおばさん(筏の持ち主なのだろうか?)が到着したとのことで、爺さんと共に文旦を食べる手を止め立ち上がる。結局1時間弱ほどこの村に滞在しただろうか。あっという間のお別れとなり名残惜しい気持ちを抱えながらも、高鉄を逃すわけにも行かず、港へと急ぐことにした。
④帰路編に続く
次回④では、筏での帰路、そして高鉄に間に合ったのか、その結末をお伝えする。果たして、筏での川上りは一筋縄に行くのだろうか?時間との戦いの結末をお楽しみに。
お知らせ:2026年版中国旅行情報シェア・質問・ディスカッション用LINEオープンチャット開設
この度、より有益で詳細な情報発信や、中国旅行に関してお困りの方々からの個別質疑応答を行えるよう、LINEオープンチャットを新設しました!現地の様子についてより詳細に知りたい方や、情報収集をしながらリスクフリー&効率的に中国旅行を楽しみたいと計画中の方、その他ご質問・ご相談のある方はぜひご参加くださいませ!
ビザ免除制度・トランジット特例に関する関連記事: